雑談散歩

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芭蕉がクローズアップしたもの「秋風や薮も畠も不破の関」

「不破の関」は、現在の岐阜県不破郡関ヶ原町にあった関所。
673年に天武天皇の命により設置されたものだという。
789年に廃止。

秋風や薮(やぶ)も畠(はたけ)も不破の関
松尾芭蕉

「野ざらし紀行」の旅で美濃に立ち寄ったときの句。
1684年の作であるから、「不破の関」が廃止されてから900年近くも経っている。
かつてあったものが消えて900年経った場所に芭蕉は立っている。
「秋風」や「藪」や「畠」は芭蕉の目の前に現存するが、「不破の関」は存在しない。
遠い過去のものとなった史跡である。

江戸時代には、現代のような「国史跡指定」とか「重要文化財」なんて制度は、おそらくなかっただろう。
人々の言い伝えや「歌枕」によって、過去の場所が一般に知られることが多かった時代ではなかったろうか。
「歌枕」とは、その場所を歌にした有名な和歌を踏まえて、後に多くの人が歌に詠んだ名所のこと。

「不破の関」では、藤原良経(ふじわらのよしつね)の以下の歌が残っている。

「人住まぬ不破の関屋の板庇あれにし後はただ秋の風」

藤原良経は1169年の生まれで、1206年の没とされている。
この歌を詠んだ頃は、廃墟として、まだ建物が残っていたのだろう。
「壬申の乱(672年)」がもととなって設立された「不破の関」。
「壬申の乱」のドラマの影を色濃く残した歴史的建造物が、今はただ「秋の風」に吹かれるだけの廃屋になってしまっている。
そのことを藤原良経は「秋の風」と歌に詠んだのだったが、その「秋の風」を芭蕉が受け継いで句にしたのだ。

「不破の関」の跡を前にして、「壬申の乱」の物語が、芭蕉の脳裏をよぎったのだろう。
このとき吹いていた秋の風を、藤原良経の歌にある「秋の風」と結びつけたとき、そのタイミングで「秋風や薮も畠も不破の関」と口をついで出た。

眼前にあるものと無いものを、過去の歌でつなげる芭蕉の一発芸(失礼)。
芭蕉のカメラは、目のまえの草藪や畠をクローズアップし、時間を通り越して「不破の関」をロングショットしている。

すると、見えないはずの「不破の関」がクローズアップされる。
天空の産物である「秋風」をよりどころとした、芭蕉の視点が面白いと感じたしだい。

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