雑談散歩

    山スキーやハイキング、読書や江戸俳諧、山野草や散歩、その他雑多なことなど。

ドクダミの葉って癒やし系、ながめていると気分が落ち着いてくる

ドクダミの蕾。
ドクダミの花は、まだ白い蕾状態。
ドクダミの白い蕾を見て、花の様子がなんとなく水芭蕉に似ていると思った方もいらっしゃるはず。
その方は、かなりの野草通。
自身に覚えが無くても、潜在的な野草マニアであるのかも。
私だけの思い込みかもしれないが。

ドクダミにも水芭蕉にも花びらが無い。
白く花びらに見えるものは、実は苞(ほう)。

苞とは、花の基にあって、蕾を包んでいる特別な葉のこと。
ドクダミと水芭蕉は、花びらがなく、小さな花が密集してひとつの花のようになっているところが似ている。
全体の姿を見ると、両者は全く似ていない。
しかし、どこかに共通点を感じてしまうセンサーの持ち主。
そういう方が野草通なのだと思う。
もちろん、ドクダミと水芭蕉はまったく違う分類の植物。

そのドクダミが空き地の隅で葉を広げている。
濃い緑の葉に、赤紫色の縁取りがくっきりと。

ドクダミは全草に匂いがあり、臭いからと嫌う人も多い。
その反面、嫌な匂いとは思わないという人も少なからずいる。
私は後者。
ドクダミの香りを嗅ぐと気分が落ち着く。
あの匂いには、何か鎮静作用をもたらすものがあるのかも知れない。

葉と蕾。
ドクダミが群生している様子を見ると、安心感が湧いてくる。
子どものころ住んだ家の軒下にドクダミの密集地があって、それに対する郷愁が安心感を誘うのだろうか。

ハート形ともスペード形とも言える葉の赤紫色の縁取り。
赤味がかった茎の色。
このセンスの良さ。
それが、ドクダミの独特の存在感を演出している。

センスの良い姿で、毒や痛みをとり除いて、人間を守ってくれる。
古来より人間に親しまれてきた草なのだという思いが安心感につながるのだろう。

しぶい彩りのセンスの良さは、ユニークな若い娘のようで。
安心感をもたらすところは、やさしい祖母のようで。
不思議な雰囲気を持った草である。

そんな思いを巡らしていると、いつのまにかドクダミの森の中を散歩している自分に気がつく。
そうなのだ。
過去の風景に郷愁をおぼえたり、イメージをふくらませたりするのも散歩なのだ。
断片的なイメージをつなぎ合わせるところは、雑談に似ている。

雑談に癒されるように、ドクダミの葉のイメージに癒される。
ながめていると気分が落ち着いてくるのは、眺めることがイメージの散歩であるからか。

赤い茎。
赤紫の縁取り。
群生。
独特の存在感。
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