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俳諧のセンスが短歌を越える?「春なれや名もなき山の薄霞」

春なれや名もなき山の薄霞(うすがすみ)
松尾芭蕉

前書きは「奈良に出る道のほど」となっている。
「野ざらし紀行」の旅で奈良へ出る途上で詠んだ句。

春になって温かくなり、周辺の山に薄い霞がかかっている様を句にしたもの。
旅人にとって春は、大歓迎の季節。
「なれや」は断定の助動詞「なれ」プラス詠嘆の間投助詞「や」。
「やっと、春になったことだなぁ」という喜びの気持ちが「春なれや」にこもっている。
そして、うれしい春到来の現象として「山の薄霞」の景色がひろがる。

芭蕉は時々、「歌枕」を辿って句を作る。
以前記事にした「秋風や薮も畠も不破の関」のようにその土地の名所を句に組み込んで句の姿を整えている。

また、世に知られた和歌や漢詩を元に句を作ったり。
たとえば、最近記事にした「馬に寝て残夢月遠し茶の煙」のような。
私たちはそこに芭蕉の幅広い教養や見識を垣間見ることになるのだが。

ところが、この句の山は、「天香久山」ではない。
「名もなき山」なのである。

ただ尾根を連ねただけの名無し山。
その山に、春の霞がかかっている姿を眺めて感嘆している句なのだ。

「久方の天の香具山このゆふべ霞たなびく春立つらしも(柿本人麻呂)」とか「ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく(後鳥羽院)」とかの歌を頼りとせずに、堂々と無名の山で勝負している。
無名の山であるから、「天香久山」の余韻に寄り道することなく、ストレートに春到来の喜びが伝わってくる。

だが、あえて「名もなき」とする必要があったのだろうか。
と、こう考えると、「名もなき」が妙にわざとらしい。

「名もなき民の声をきけ!」という「アジテーション」が流行った時代があった。
個人としての民に名前が無いという意味ではない。
一部の知識人や政治家の意見だけに耳をかたむけるよりも、多くの人々の声を聞いたらどうだ、というような意味だったと思う。

もし現代から、遠い過去のことを推し測ることが可能であるならば。

推し測って考えると、「名もなき山」とは、天香久山に限らず、あちこちの連なる峰々、見渡す限りの山々のこと。
その山々に春の霞がかかっているという情景。

「名もなき山」の「山」とは、特定の山を指すのではなく、複数の山を意味しているとしたら、なんとダイナミックな視点だろうか。
「名もなき山」とすることで、芭蕉は、「天香久山」に象徴される短歌の世界を、俳諧のセンスで越えようとしたのかもしれない。

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