雑談散歩

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芭蕉の慟哭「塚も動け我泣声は秋の風」

塚も動け我泣声(わがなくこゑ)は秋の風
松尾芭蕉

唐突だが、「秋の風」とは台風のことかな、と思ったりしている。

早世した弟子の墓の前で、芭蕉が慟哭する。
その泣き声は、秋の強い風音にかき消されてしまう。

台風のような強風が、ビュービュー吹いて、木々の幹を揺らしている。
墓地を囲む太くて大きな木が、ギシギシ音を立てる。

芭蕉は、風の音を自身の泣き声として、句を読む者に聞かせている。
この句で、そういう主人公を登場させている。
読者は、激しい芭蕉の「我泣声(わがなくこゑ)」が立ち木を揺らしている情景(劇)を脳裏に描く。

空は暗く、墓地の周囲の木が音をたてて揺れる。
芭蕉は、友人の死に対して空が慟哭しているような風景を描いているのだ。

暗雲とした悲しみの風景に、句の読者は取り込まれる。
その読者(客席)に向かってか、虚空に向かってか、芭蕉が発する。
「塚も動け」と。

私たち読者も、その台詞に反応し、暗黙のうちに復唱する。
「塚も動け」。

死んでいった者の悲しみの嘆きを、生きているものが復唱する。
「塚も動け」とは死者の嘆きを代弁した芭蕉の言葉。

「塚も動け」という上句には、若い友人の死に対する否定の念が強く込められている。

その言葉を私たちに復唱させることで、芭蕉は自身の悲しみを普遍化しようとしている。
死者に対する、永遠の悲しみの台詞として芭蕉が発したのだ。

私たちがそれを復唱することで、私たちの脳裏に「小杉一笑」という俳人の生と死が蘇る。
小杉一笑は加賀の国金沢の茶商で、俳人。
晩年は蕉門(松尾芭蕉の一門)に属したという。

芭蕉は、「奥の細道(おくのほそ道)」の旅の途中、金沢で一笑に会うのを楽しみにしていたらしい。
金沢入りした芭蕉は、一笑の死を知って、深い悲しみにとらわれる。

「塚も動け我泣声は秋の風」は小杉一笑の追善句会で芭蕉が詠んだ悲嘆の句。
芭蕉は、現実に死んでいった者を、芭蕉が描く「劇」のなかで、蘇らせようとしている。

旅に生きる詩人は、やがて「旅に死す」ことを悟っている。
だが芭蕉は、旅の「劇」のなかで永遠に生き続ける。

芭蕉の句は、その「劇」の台詞。
芭蕉は、自身よりも早く亡くなった若い一笑を、現実の死から、芭蕉の「劇」のなかへ蘇らせようとしているのだ。


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