雑談散歩

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芭蕉の興ざめ「須磨のあまの矢先に鳴くか郭公」

句の前書きの内、この句に関する部分には、以下のような意味の事が書かれている。

「須磨の漁師は、網で捕えた魚を、砂の上に広げて干している。
それを、カラスがつかんで飛び去っていく。
漁師が、これを憎んで弓矢でカラスを脅す。
弓矢を使うのは、漁師のやる事には見えない。
もしかしたらここは源平の古戦場なので、その名残でこんなことをするのか。
非常に仏法に反した罪深い行いであると思われる。」

須磨のあまの矢先に鳴くか郭公(ほととぎす)
松尾芭蕉

須磨の漁師は、魚を奪いにくる鳥を追い払うのに弓矢を使うという。
漁師が「侍」の真似事をするのは、罪深いことだと芭蕉は嘆いているのだろう。

漁師が戦う相手は海ではないか。
海で戦って魚を獲り、その魚で人を生かす。
(魚は、殺すのだが・・・・・。)

人を生かす漁師が、人を殺す道具を使うなんて・・・と芭蕉は嘆いているのか。

須磨の漁師が、鳥を追い払うために使う矢の先で、美しい声で鳴くのか、ホトトギスよ、という感じかな・・・・。

ホトトギスは渡り鳥である。
日本には、5月中旬頃、夏鳥として渡来する。
初夏の頃に日本に到着して、初鳴きをする。
ホトトギスが、夜密かに泣くのを「忍び音」と言うらしい。

そのホトトギスが、漁師がどこかに立てかけた矢の先で鳴いているのを、芭蕉は見たのであろう。
きれいな初鳴きだが、鳴いている場所に風雅が無い。

漁師の矢先で初鳴きしているホトトギスよ、せっかく日本に帰って来たのに、その矢先は鳥を追い返すためのものなんだよ。
お前は、また南国へ戻りたいのか。
そんな矢先で鳴くんじゃないよ。

お前の鳴くべき場所は他にいくらでもある。
たとえば、夜明けの月を背景にしてとか。
それを、選りに選って、須磨の漁師の矢先で鳴くなんて・・・・。
というイメージか。

百人一首の有名な歌に「ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる(藤原実定)」というのがある。

芭蕉もこんな感じで、ホトトギスの初鳴きを聞こうと、未明から楽しみにして待っていたのかもしれない。
そして、鳴き声の聞こえた方を眺めたら、明け方の空に残った月ではなく、漁師の弓の矢先だった。

芭蕉は興ざめした。
須磨の風雅な「有明の月」は残っているのに、まさか錆びた矢先で鳴くなんて。
「ホトトギスよ、俺の前ではそんなものか」と芭蕉が嘆いたかどうか・・・・。

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