雑談散歩

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芭蕉の春の句

前書きに「初春」とある。

春立ちてまだ九日の野山哉
松尾芭蕉

この句は、伊賀・上野の「風麦亭」での挨拶句と言われている。
「春立ち」は立春のこと。
「春立ち」と「野山」という言葉で、春めいた雰囲気が感じられる。
「まだ九日」は、この地は、これからどんどん春めきますよ、という芭蕉の挨拶。

初春を迎えて、本格的な春の到来が待ち遠しい当地の人々にとっては、うれしい挨拶だ。
芭蕉は、立春が過ぎてまだ九日経ったばかりの伊賀・上野の野山を、句会に参加しているメンバーに提示している。
さあ、春の脚色をつけて下さい、と言わんばかりに。


枯芝やや ゝかげろふの一二寸
松尾芭蕉

これも句会の時に作ったものだろうか?
よく見ると、枯芝の上に、しだいに陽炎が一二寸ほど立ち上がっている、というイメージ。

春になって、だんだん陽気が良くなってくる様を句にしたもの。
春の枯芝の香りが陽炎とともに匂い立ちそうな感じの句である。
それとともに、映像として、枯れた芝草の上がゆらいでいる光景が目に浮かびそうであるが・・・・。

ところで、陽炎は春の季語となっているが、夏の暑い日に多く見られる現象。
まだ冬枯れの枯芝が残っている初春の頃では、よっぽど気温が急上昇しないと見ることが出来ないような気がする。

雪解けの頃、枯れ草の上から湯気が揺らめいている光景はよく目にすることがある。
しかし、この句で、枯芝の上で揺れているのは陽炎なのである。

芭蕉は、現実の光景に、希望する将来の景色を重ねて描いているのだろうか。
雪解けで顔を出したこの枯芝も、そのうちに暖かい春になれば、陽炎の一二寸も立つようになることだろう。
草萌える春、新緑の春は、すぐそこまで来ている、というイメージなのだろうか。
寒さが緩んで、暖かい季節を待ち望む伊賀・上野の人々にとっては、心温まるメッセージである。
「句会」の熟達者である芭蕉が見せた、気遣いかも知れない。

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